鍛冶屋の息子に生まれた私は幼少の頃よりまっすぐに帰宅し、よく父の向う槌をした。真剣にしていても、はずしてしまうこともあった。そんな時は容赦なくしばかれた。仕事が終わると、父の酒の燗をさせられた。土佐の男の例にもれることなく酒をこよなく愛する父は、私に肴をよく作らせた。魚をさばくこともこの頃身につけた。卵焼きを失敗して鉄のヘラでなぐられたこともあった。
自分にも息子にも厳しかった父。そのような環境で、薄暗い鍛冶場で父が打ち出す火花と気迫、鉄と父との激しいやりとりに心がすいよせられていた。真っ赤な鉄は鍛錬され、焼きを入れられ、研磨され、白く鋭く光る刃物に姿を変えていく。それはまさに、日本刀の輝きだった。出来上がった父の製品を見て「僕は刀でこの世界を表現したい」と、強く思った。
そして今、刀と向き合っていると、時々、何かにつき動かされているような気がする。それは、僕を支えてくれる見えない全てなのであり、亡き父なのだろう。